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【プロフィール】
Giorgio de Chirico 1888-1978 ジョルジョ・デ・キリコは、1888年にギリシャのテッサリアで生まれた。1900年、アテネの理工科学校に通う。1907年、ドイツでミュンヘンの美術アカデミーにて学ぶ。1910年、フィレンツェに移住し、最初の形而上絵画を手がける。1912年、3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品。1913年、パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品。1915年、第一次世界大戦が勃発。イタリア軍に召集されフィレンツェの連隊に入隊し、北イタリアのフェッラーラに駐屯。繊維工場が発する麻を煮る臭いが充満する街で、その麻薬効果が当時のキリコの風景画に影響したといわれる。1918年、前衛美術雑誌『造形的価値(ヴァローリ・プラスティチ、Valori Plastici)』を創刊。詩的なテクストを発表。1919年、ローマで個展を開くが、美術史家のロベルト・ロンギに酷評される。1920年、「形而上芸術について」「技法への帰還」などを出版。1921年、ベルリンの国立ギャラリーにて、大規模な「造形的価値グループ展」を開催。1923年、ローマ・ビエンナーレに出品。1924年、ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚。第14回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。1926年、シュルレアリストたちとの決別を表明し、ニューヨークで初の個展を開催。1929年、小説『エブドメロス(Hebdomeros)』出版。1978年、90歳の誕生日を祝うが、11月20日に心臓発作のためローマで死去。非常に毒舌家であり、著書では同時代の画家たちを辛辣に批評していたことが知られている。

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