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【プロフィール】
Nam June Paik 1932-2006 ナムジュン・パイクは、1932年に日本統治時代の京城(現在のソウル)で生まれた。TVやビデオなどを用いたパフォーマンスやインスタレーション(仮設または設置型作品)で知られる韓国人アーティスト。1949年、朝鮮戦争の戦禍を逃れて香港に移住。1950年、日本に移住。1956年、東京大学文学部美学の美術史学科で学ぶ。1956年にドイツに渡り、ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。また、フライブルク高等音楽院でヴォルフガング・フォルトナーに作曲を学ぶ。1958-63年、ケルンの西部ドイツ放送協会 (WDR) 電子音楽スタジオで勤務。1959年、デュッセルドルフのギャラリー22でパフォーマンスアート「ジョン・ケージへのオマージュ」「テープレコーダーとピアノのための音楽」を初演。1960年、ケルンのアトリエ「マリー・バウエルマイスター」でパフォーマンス「ピアノフォルテのためのエチュード」を初演。1966年、十字架型にテレビモニターを組み立てた作品「TV Cross」を制作。1969年、観客がモニター画面の色や形を自由に変えられる作品「Participation TV」を制作。同年、共演を続けたチェロ奏者のシャルロッテ・モーマンの為に作品「TV Bra for Living Sculpture」を制作。1970年、ビデオ・シンセサイザーの共同開発を行った。1971年、モーマンの為に作品「TV Cello」を制作。1977年、衛星放送を用いた最初のイベントを開催。1982年、ピラミッド型にテレビモニターを積み上げた作品「V-yramid」を制作。1984年、東京都美術館で行われた1993年、ヴェネツィアのビエンナーレにドイツ館代表として参加。金獅子賞を獲得。同年、ワタリウム美術館で個展「パイク地球論」を開催。1995年、湖巌賞芸術部門の福岡アジア文化賞芸術・文化賞を受賞。1996年、コペンハーゲンのスタテンズ美術館で『ビデオ・スカルプチャー、エレクトロニック・アンダーカレンツ展』を開催。イースターの日に脳梗塞で倒れ、リハビリ活動を経て車椅子生活となる。このリハビリの様子や韓国への帰省を久保田成子が記録したビデオ作品「Trip to Korea」「Sexual Healing」がある。1998年、京都賞思想の芸術部門賞を受賞。2000年、ウィルのグローマン賞を受賞。同年、米韓で大規模な回顧展を開催。2006年、京畿道果川市の国立現代美術館に展示されていた『古地図2』という作品の中に、フランス語の「Mer Du Japon」(日本海)という文字があり、抗議を受けて撤去された。同年、アメリカのフロリダ州マイアミにある別荘で死去。葬儀では、パイクが初期のパフォーマンスでジョン・ケージのネクタイをハサミで切ったことにちなみ、参列者たちはこぞって自分のネクタイを切って棺に納めた。2007年、韓国放送公社 (KBS) は開局80周年を記念して汝矣島にある特別展示ホールで、パイクの作品をあつめた展覧会「Nam June Paik-Rhapsody in Video」を開催。2016年、ワタリウム美術館で没後10年ナムジュン・パイク展「2020年笑っているのは誰?+?=??」が開催。

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